カルソニック・スカイライン
1990年11月10日~11日 第6戦 富士スピードウェイ
国際ツーリングカー耐久レース インターTEC

毎年、ボルボやシエラ、BMWなどを海外から迎え
日本車勢と富士を舞台に激しい戦いを繰り広げるインターTEC。
1990年、今年はGT-Rの出現に8万7500人の観衆が沸き立つ


Text: Naotsugu Mihori
Photo: Yoshio Moriyama / Takahiro Masuda
By courtesy of GT-R Magazine Vol.005, Kotsu-Times Sha, 1995.



インターTECで国産車初優勝を飾ったGT-R

フォードシエラRS
ツーリングカーレースの祭典へと発展を遂げるインターTECがやってきた。
この1990年の観客数は決勝日だけで8万7500人。ここ数年来でもっとも観客動員数が多かった1988年のWEC in Japanの8万1500人を軽く上回る来場者数である。そして、公開練習が始まる金曜日からの延べ人数は11万700人であり、この年のF1日本GPにおける14万1000人には遠く及ばないが、とにかく多くのお客さんが富士スピードウェイに詰め掛けたのであった。

とてつもない観客数が示したインターTECの人気をひとえに支えたのは、今季これまで負けなしで、デビュー以来連勝中のスカイラインGT-Rへの期待である。インターTECは1985年が第1回大会となるが、日本がグループA規定のツーリングカーレース開催に出遅れたことにより、開発の進んだヨーロッパ車が毎年このレースを制してきた。

<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_183.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『グループA』">グループA</a>スカイラインGTR
1985年~1986年の優勝車は『フライング・ブリック』と呼ばれたボルボ240ターボ。1987年からはフォードシエラRS500が勝っている。外車勢の牙城を崩すべく、スカイラインGTS-Rが1988年~1989年と予選でポールポジションを奪うのだが、1988年はブレーキトラブルで、1989年はタイヤトラブルでそれぞれリタイアすることになった。シエラRS500に次いで2位に入賞したのは1988年~1989年ともトヨタスープラターボAであったが、1990年はもはや総合優勝を狙う戦闘力を失っており、トヨタの主力はホンダシビックとのクラス優勝争いをするカローラに絞られていた。「勝ちたいじゃなくて、とにかく勝つ」。これが、ここまで5戦中4勝を挙げチャンピオンを決めているカルソニック・スカイラインのエース、星野一義のインターTECへ向けた決意であった。それは、新生スカイラインGT-Rの連勝記録をここでストップさせないこと、またインターTECで国産車初優勝を達成することを意味していた。

富士スピードウェイ
海外から3台のシエラRS500を迎えての大会となったが、予選はカルソニック・スカイラインとリーボック・スカイラインの2台のスカイラインGT-R同士の一騎打ちに終始し、他のマシンが付け入る余地はなかった。しかし、すべてが順調だったわけではない。

カルソニック・スカイラインは予選1回目にBMW M3と接触し、左リヤのハイキャスのアームを曲げ、フェンダーにも損傷を負った。このため、予選1回目はタイムアタックを行わず、2回目の予選で一発勝負に賭けるしかなかった。それでも、星野が操るカルソニック・スカイラインは昨年のポールタイムを大幅に更新する1分31秒304でポールポジションを決めた。公開練習の段階から1分32秒台を出していたスカイラインGT-R。
「クリアラップが取れれば31秒台はいけると思った」
と、星野は余裕のコメントを残した。

<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_588.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『リーボックスカイライン』">リーボックスカイライン</a>
すでにチャンピオンの座は明け渡すことになったが、ディフェンディング・チャンピオンのリーボック・スカイラインもそう簡単にギブアップするわけにはいかなかった。シリーズ連覇はかなわないまでも、最終戦、かつ最大の観客を集めるインターTECで勝利を収めてシーズンオフに入ることは、来シーズンへ向けての大きな弾みになる。

星野が31秒台を出したのを見たリーボック・スカイライン長谷見昌弘は、予選終了間際に最後のタイムアタックに入り、勝負を賭けた。結果は、1分31秒886。0.5秒及ばず予選2位となる。運悪くヘアピンで徐行するマシンに引っ掛かり、クリアラップが取れなかったのだ。
「遅い車に引っ掛かったけれど、まぁあんなもんじゃないか」と平静を装う長谷見ではあったが、悔しさが滲み出ていた。「決勝ではタイヤがきつくなりそうだから自分のペースをきっちり守って走る」と長谷見

カルソニック・スカイライン
実際、昨年トップのマシンを追い上げていたカルソニック・スカイラインにタイヤトラブルが発生している。インターTECは、通常のシリーズ戦の300kmレースと異なり、500kmを走り切らなければならない。真夏の鈴鹿も500kmレースではあったが、この年はウエットコンディションによってマシンへの様々な負荷、そしてタイヤの負担が軽減されていた。

スカイラインGT-Rの速さが圧倒的なのは、予選3位となったシエラRS500とのタイム差でも明らかであった。長坂尚樹とC・ホジェッツの乗るシティライフ43シエラの予選タイムは、1分34秒667。前年に星野のスカイラインGTS-Rが出したポールタイムの1分35秒069を上回っているが、それでもスカイラインGT-Rには遠く及ばない。それほどインターTECでのスカイラインGT-Rは速かった。

種明かしをすれば、それまでターボのブースト圧を1.4バールにとどめ、最高出力を580馬力程度に抑えていたのだが、シーズン最後のレースということでブースト圧を1.6バールに上げ、インターTECにおけるスカイラインGT-Rの最高出力は、600馬力に達していた。

<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_588.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『リーボック・スカイライン』">リーボック・スカイライン</a>
ところで、仙台から加わった3台目のスカイラインGT-R、オブジェクトTのマシンは、前回の借りものから本来の新車に替っての参戦となったが、いくつかのトラブルが重なり十分に力を発揮することなくレースを終えることになった。

快晴という絶好のレース日和に恵まれた決勝日、ローリングスタートから先陣を切ったのは星野がスタートドライバーを努めるカルソニック・スカイラインであった。その1周目、1台のマシンがコースを塞ぐ格好でBコーナーにストップ。このためレースは赤旗中断となり、再スタートにより仕切り直しが行われた。

波乱の幕開けかと思われたが、再スタートでもカルソニック・スカイラインは素晴らしいダッシュでトップに立ち、さっそく独走態勢へと持ち込んだ。そのラップタイムは1分33秒台で、これは予選3位のシエラRS500のアタックラップよりも速いタイムである。これでは他の誰も勝負にはならない。リーボック・スカイラインは、レース前の長谷見の言葉通り、タイヤライフを考えたマイペースの走りによってスタート直後には3番手、やがて前のシエラRS500を捕らえ2番手となるが、この時カルソニック・スカイラインははるか彼方を走っていた。

カルソニック・スカイライン
カルソニック・スカイラインにスキはないのだろうか。心配は、やはりタイヤである。予選タイムより余裕はあるものの、シエラRS500を圧倒するペースで決勝レースを走るカルソニック・スカイラインが装着するタイヤは、ブリヂストンが徹夜で作り上げたニュースペックであった。この1年間の集大成といえる4輪駆動用タイヤ技術を駆使したタイヤであるはずだが、ぶっつけ本番での投入は一抹の不安がないとは言えない。それでも星野のペースは全く衰えなかった。

一方、実際にタイヤトラブルに見舞われたのはシエラRS500の方だった。スローパンクチャーやブローによって、相次いでシエラRS500が予定外のピットインを行った。さらに、ホイールごとタイヤが外れるというトラブルまで発生。また、ブレーキトラブルやタイヤバーストまで起こる。シエラRS500勢にとっては、まさに踏んだり蹴ったりの展開となった。

いずれも不測の事態とはいえ、カルソニック・スカイラインにプレッシャーを掛けなければならないライバルたちが結果的に自滅していった。すべてがカルソニック・スカイラインの優勝を後押しする格好となったのである。

<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_515.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『星野一義』">星野一義</a>・<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_257.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『鈴木利男』">鈴木利男</a>
途中、鈴木利男にドライバー交代をし、2度目のルーティンワークが行われるピットインで再びステアリングを握った星野は、満席のグランドスタンド前でポール・トゥ・ウイン+ファステストラップの完全勝利のチェッカーフラッグを受けた。クールダウンを終え、再び観客の前へ戻った星野は、スカイラインGT-Rのアクセルを激しく踏み込み、600馬力の排気音を轟かせ歓声にこたえた。星野は左手を軽く掲げ、マシンを降りる。利男と並んで表彰台に立つ星野の顔には、スカイラインGT-Rを王座へと導いた勇者の表情があった。
「確かにタイヤに関してやや不安はあったけれど、ブリヂストンが一生懸命タイヤを作ってきてくれたからね。そういう意味で、今回の優勝は陰の力によるところが非常に大きい。クルマは金曜日から調子が良く、心配がない状態だった。逆にあまりリラックスしすぎてなにかヘマをやるといけないので、それなりのペースで走ったよ。とにかく国産車として初優勝ということなので、本当に嬉しい」と星野は語った。

2位は、予定通りともいうべきリーボック・スカイラインである。ただし、カルソニック・スカイラインとの間には1周の差が開いていた。いずれにしても、スカイラインGT-Rのワン・ツー・フィニッシュは6戦中5位となった。

3位には、1987年からシエラRS500でインターTEC3連勝してきたK・ニーツビーツが、G・ハンスフォードと組んで入った。「スタートは良かった。しかし、パワーの差はどうしようもないね。序盤は食いついていったけれど、次第に離されてしまった」とニーツビーツは言う。

インターTECでの国産車初優勝で1年を締め括ったスカイラインGT-R。グループAのために生まれ、デビューとともに連勝街道を驀進しチャンピオンを獲得。ライバル不在のまま王座を勝ち取ったわけだが、ヨーロッパへ目を向けてみれば、イギリス・ツーリングカー選手権はシエラRS500が全戦で優勝しシリーズを圧倒。だが、すでに2リッター4ドアセダンでのレースが始動し始めており、翌1991年からチャンピオンシップはそのニューツーリングカーに掛けられることになる。ドイツでは、独自のスタイルでDTMが行われており、人気を高めていた。

すでにこの時、グループAの時代は終わりを告げようとしていたのである。ヨーロッパでは、もうグループAマシンの開発は行われなくなっていた。新生スカイラインGT-Rの登場は、我々にひとつの夢を与えてくれた。しかしそれは、ライバルなき孤独な戦いの始まりだったのである。