1991開幕戦SUGO
1991年5月18日~19日 開幕戦 スポーツランドSUGO
SUGOグループA 300km選手権レース

GT-Rでなければ勝てない
と、言わんばかりの圧勝で敵を無くした今年は、
GT-Rに勝つという新たな悩みを抱えることになったのだ


Text: Naotsugu Mihori
Photo: Yoshio Moriyama
By courtesy of GT-R Magazine Vol.006, Kotsu-Times Sha, 1996.




1991年は4台のGT-R投入で戦いはますます激化する予感
長いシーズンオフが終わり、1991年のグループA、全日本ツーリングカー選手権が開幕したのは5月19日のことだった。
当初、4月20日に山口県の西日本サーキットで開幕する予定だったが、シーズンオフにコースレイアウトを含めた全面的な改修工事に入っており、そこへ悪天候の影響などもあって3月半ばの完成予定が遅れることになったのだ。3月の末にコースそのものは完成する見通しだったが、レースを開催するためにはJAFによる査察を受けなければならず、日程的に間に合わないということになった。こうしてグループAの開幕は5月のSUGOまで待たなければならなかったのである。

AXIAスカイライン
1990年後半戦からスカイラインGT-Rを走らせるAXIA・TRAMPIO・GT-Rは清水和夫/影山正彦組。ブレーキトラブルによりリタイヤしてしまう。
ちなみに、西日本サーキットはそれまでの反時計回りの独特なコースレイアウトから、時計回りに変わり、コース全長は3.23kmと長くなってFIAの国際公認コースとなった。そして名称は、MINEサーキットに変更されたのである。
さて、話を開幕戦のSUGOに戻すとしよう。スカイラインGT-Rの対象となるクラス1の参加台数は合計6台。前年の最終戦インターTECでの14台は海外からの参加があるので特別扱いとしても、その前の仙台では11台の参加があり、それが年が改まってみると半分近くの台数に減ってしまったのである。その理由のひとつに、スカイラインGT-Rの登場があげられる。

1990年のシーズン開幕戦に登場して以来、スカイラインGT-Rはすべてのレースで圧倒的速さを見せ、同じクラス1の他のマシンを必ず周回遅れにしてしまったのであるから、スカイラインGT-R以外のマシンでの参戦は、最初から優勝を放棄することを意味した。それはチームやドライバーの士気を著しく低下させるばかりでなく、レース資金を確保するためのスポンサー獲得を困難にする。

FETシエラ
FETフォードシエラRS500は、見崎清志/長坂尚樹組。開幕戦ではシエラ勢は2台に減っていた。
また、スカイラインGT-Rのような高性能車を生産車として作ることは他の自動車メーカーにとって大きな負担であり、開発が不可能であれば、負けるレースにメーカーの面子を賭けることはできないという話にもなる。トヨタは、インターTECを最後にスープラでの参戦を止めることになった。
だが一方で、それは自動車メーカーの都合であって、レースファンにとっては勝手な言い草だともいえる。日産は、グループAの存在を大きくとらえ、スカイラインGT-Rという手間のかかるクルマの開発をあえて行なった。その結果、サーキットに多くのファンを呼ぶことになったのである。そういう意味で、日産はモータースポーツのことを真剣に考えたと解釈できる。また、他のマシンを凌駕してしまうほどのクルマを開発できる技術力への自信が、日産にあったということにもなる。


スポーツランドSUGO
強いスカイラインGT-Rを見ようと、4万5300人もの観客がスポーツランドSUGOへ駆けつけた。
いずれにしても、日本のみならず、ヨーロッパのメーカーも脱帽するほど高性能なクルマを日産は作ってしまったのだ。もはや誰もスカイラインGT-Rに太刀打ちできなくなった。1991年にこの開幕戦に参加した6台の内訳は、スカイラインGT-Rが4台、フォード・シエラRS500が2台であった。
そのうち、ニューカマーが2台ある。1台はスカイラインGT-Rで、横浜タイヤを装着するタイサン・クレッパーGT-Rだ。これでスカイラインGT-Rが装着するタイヤの銘柄は、ブリヂストン、ダンロップ、トーヨーとともに4社となった。
もう1台のニューカマーは、昨年までピューミニカラーで走っていたエッゲンバーガーチューンのシエラで、それまでシビックに乗ってきた村松康夫とF3ドライバーの原貴彦による参加となる。車名はプレイボーイ・トランピオ・シエラ。
 土曜日の予選は、ドライコンディションの下で行われたが、当日は朝から気温が高く予想以上に路面温度も上がったため、ディフェンディングチャンピオンであるカルソニック・スカイラインは、予選用タイヤ2セットを午後の予選に残す作戦をとった。一方そのライバルとなるリーボック・スカイラインは午前中の1回目に予選用タイヤでタイムアタックを行ない、1分28秒003のトップタイムを長谷見昌弘が記録した。

GT-Rを襲ったブレーキトラブル。優勝はやはりカルソニックの手に!
<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_588.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『リーボックスカイライン』">リーボックスカイライン</a>
1991年のこの開幕戦には、スカイラインGT-Rが4台、フォード・シエラRS500が2台。スカイラインGT-RはスカイラインGT-Rと戦うこととなった。
予選前、カルソニック・スカイラインの金子監督は、「テストでは予選用セッティングで1分26秒台が出ている」と話している。午後に行われる2回目の予選に賭けたカルソニック・スカイライン、そして予選用タイヤをまだ1セット午後に残しているリーボック・スカイラインは、果たしてその1分26秒台に入れることができるだろうか。
午後3時を過ぎて2回目の予選が開始となった。先に動いたのはカルソニック・スカイラインの星野一義だ。温存した予選用タイヤを装着してタイムアタックに入った。タイムは1分27秒361。26秒台にはおよばないが、1回目のリーボック・スカイラインのタイムを破りトップに立つ。さらに星野は2セット目の予選用タイヤでタイムアタックに入ったが、結局最初のタイムを上回ることはできなかった。
 そして、長谷見が2セット目の予選用タイヤでタイムアタックを行なう。リーボック・スカイラインは新しいシーズンを迎えるに当たってボディを新品に交換してきた。その結果、「車体の剛性が十分に出ている」と長谷見も満足顔である。コーナーへ目一杯突っ込み、ギリギリの走りを見せる長谷見は1分27秒台へ入れてきたが、カルソニック・スカイラインのタイムにはおよばず、1分27秒533にとどまった。

カルソニック・スカイライン
GT-R同士の激しい闘いの中、昨年は見られなかったブレーキトラブルが4台すべてに発生。それは壮絶な闘いの幕開けを予感させた。
これで、カルソニック・スカイラインのポールポジションが正式に決定した。ニューカマーであるタイサン・クレッパーGT-Rは、高橋健二と土屋圭市がそれぞれ予選用タイヤを使ってタイムアタックを行なったが、いずれもクリアラップが取れず土屋の1分28秒176がベストタイムで予選3番手。それでもはじめてスカイラインGT-Rに乗る土屋は、「シエラに比べるとGT-Rは多少スライドしてもタイムロスにならないから楽だね」と、笑顔で答えた。
ちなみに、高橋は、そもそもグループAのスカイラインGT-R開発担当ドライバーである。
 予選4番手に昨年の後半からスカイラインGT-Rを走らせているAXIAスカイライン。ナンバー1ドライバーの清水和夫が1分29秒307を出してのポジションである。そして、FETフォード・シエラの長坂尚樹が1分29秒483で予選5番手に、予選6番手に原が1分32秒023で走り、プレイボーイ・トランピオ・シエラが着けた。
万全の構えに見えたカルソニック・スカイラインだったが、決勝当日の朝に行われるフリー走行でターボチャージャーのトラブルが発生した。原因は、ゴミが入り込んでブースト圧が上がらなくなったのだ。しかし、これが決勝レース中に起こらずに済んだのは幸いだった。修理を終えたカルソニック・スカイラインは、何事もなかったかのようにスターティンググリッドに着いた。
タイサンKLEPPER GTR
開幕戦からスカイラインGT-Rで参戦したタイサン・クレッパーGT-Rは横浜タイヤを装着。AXIAスカイラインに続き、タイサン・クレッパーGT-Rもブレーキトラブルでリタイヤとなった。
 決勝の火蓋が切られ、素晴らしいダッシュを見せたのはポールポジションのカルソニック・スカイラインである。そのペースは1分28秒後半から29秒と速く、2番手以下をどんどん引き離しにかかった。2番手を争うのはリーボック・スカイラインとタイサン・クレッパーGT-Rである。ストレート区間ではスリップストリームを生かしてリーボック・スカイラインを抜きにかかろうとするタイサン・クレッパーGT-Rだが、リーボック・スカイラインの巧みな走りに前へ出ることができない。
レース半ばを過ぎ、すでにドライバー交替と給油のためのピット作業を無事に終えた各車だったが、4番手を走行中のAXIAスカイラインが左のリヤタイヤ付近から白煙を上げてピットに駆け込んできた。ブレーキキャリパーからオイル漏れが発生し、それで煙を出したのだ。そのままリタイアとなる。
 その数周後、タイサン・クレッパーGT-Rもピットへ向かう。タイヤがブローしたのだ。スカイラインGT-R用タイヤを初めて実戦で使うヨコハマの最初の試練というところか。交換作業を行い戦列に復帰した。ところが、間もなくタイサン・クレッパーGT-Rが再びピットに戻ってきた。今度はブレーキトラブルだ。
「ドライバー交替をした後、すでにブレーキの効きがかなり悪くなっていたが、1コーナーでブレーキが効かずにコースアウトしてしまった。」
と、レース後半のドライブを担当した土屋が言う。そして、タイサン・クレッパーGT-Rもリタイアせざるを得なかったのである。

<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_515.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『星野一義』">星野一義</a>・<a href="http://www.gtr-world.net/glossary/item_257.html" class="autolinktoitem" title="キーワード『鈴木利男』">鈴木利男</a>
グループCなど耐久レースでの経験が、ブレーキトラブルを致命傷としない鈴木利男のドライビングを導き出していた。
 レースも終盤に入って、リーボック・スカイラインのペースがガクッと落ちた。ここへきて、リーボック・スカイラインのブレーキもまったく効かなくなってしまったのであった。今回は、スタートドライバーをパートナーのアンダース・オロフソンに任せていた長谷見は、フットブレーキが効かないままのリーボック・スカイラインを、エンジンブレーキだけで走らせていたのだ。そしてゴールまで、2番手ポジションを死守したのである。
実は、トップを走るカルソニック・スカイラインもレース終盤に入ってブレーキの効きが甘くなっていた。そこで、ドライバーの鈴木利男は早め早めにシフトダウンを行ない、エンジンブレーキを使って減速しコーナーを回っていたのである。長谷見や鈴木のそうした対処は、グループCなど耐久レースを知り尽くしたドライバーのサバイバル・ドライビングといえた。
 こうしてカルソニック・スカイラインが開幕戦を制する。そして2位にリーボック・スカイライン。3位にFETフォード・シエラが入ることになった。
4台のスカイラインGT-Rに出たブレーキトラブルは、昨年は一度も経験しなかったものだ。GT-Rの開発に携わってきたニスモの日置和夫氏は、次のように語った。
「ブレーキそのものは昨年と全く変わっていませんが、ラップタイムの向上と、GT-Rの台数が増えたことによってお互いの争いが昨年以上に激しくなり、ブレーキに大きな負担がかかるようになったのではないでしょうか。いずれにしても次の鈴鹿までに対策していきたいと思います」
クラス1の参加台数は確かに減った。だが、スカイラインGT-Rの争いは、その台数が増えたことによって激しさを増したのである。スカイラインGT-R同士の壮絶な戦いが始まろうとしている。