第11話 1991年第5戦オートポリス
2008/04/22
カテゴリ: GroupAの残像
ライター: 御堀直嗣
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1991年10月12~13日 第5戦 オートポリス
全日本ツーリングカー選手権シリーズin AUTOPOLIS
優勝そしてチャンプ奪回
グループA初開催のサーキット
それにくわえてめまぐるしく天候が変化する予選
レインかスリックか・・・・・・
どちらにしても使えるタイヤは3セット
カンに勝負をかけるしかない
定まらぬ天候に惑わされるタイヤ選択と予選通過タイム
この年、開幕戦に予定されていた西日本サーキットでのレースがコース改修のためキャンセルとなり、1戦が減ることになったが、一方で新たに生まれたサーキットでのレースがシリーズに加わることになった。
オートポリスは、九州初の本格的パーマネントサーキットとして1990年10月27日にオープンした。大分県阿蘇の、くじゅう国立公園麓に建設されたコースは、全長が4.647km。FIAの公認を得た国際格式のコースである。サーキットの設計に当たっては、F1でホンダのチーム監督を務めた桜井淑敏氏が監修したというだけのことはあり、奥深い山間に完成したオートポリスには約15万人の観客収容能力があり、付帯設備としてホテルやスポーツ設備、さらに美術館も備えるという、F1を通して見たヨーロッパ流モータースポーツ文化のエキスが注入された豪華な内容を誇った。
コースレイアウトは、約1kmのホームストレッチの他、左右に切り返しの続くテクニカル区間やタイトなヘアピンカーブを2つ持ち、さらに最大標高差52mとなるアップダウンがあって、その最大勾配は、上りで約7%、下りでは10%と、雄大な自然を利用して様々な走行性能をマシンに要求する工夫がなされている。
1990年秋のオープンに際してはF1のデモンストレーション走行などが行なわれ、その後1991年になって本格的にレース開催が始まった。3月にはF3000、そして10月にグループAである。
公式予選が行われた土曜日は朝から雨が断続的に降り、コース上はウエットコンディションとなった。グループAでは、2回行われる公式予選で使えるタイヤは3セットまでと制限されているが、このシーズン途中から、その制限はレインタイヤを使用した場合も同様であるとのルール変更が行われた。したがって、今回のように雨量が安定せず、また2回目の予選では天候が回復する可能性もあるといった状況では、タイヤ選択が予選結果を大きく左右することになる。しかも、チームを組む二人のドライバーがそれぞれ基準ラップタイムを越えなければならないのだから、レインからスリックに変わるような場合はなおさら予選の戦い方は決められた時間内で複雑、かつ難しさを増す。
1回目の予選は完全なウエットコンディションで、レインタイヤを装着してのタイムアタックとなったが、暫定のポールポジションとなる最速タイムを記録した長谷見昌弘の乗るリーボックスカイラインは、浅い溝のレインタイヤを装着していた。タイムは、2分4秒357。2番手は星野一義のカルソニックスカイラインで、タイムは2分7秒114と、大きく差が開いていた。
予選終了後、一時的に止んだ雨が2回目の予選が始まるころには再び降り出す。レインタイヤを装着してコースインを行う各マシン。そして予選時間の半分が経過した頃、カルソニックスカイラインがいち早くレインからカットスリックに履き替えてコースインし、一気にタイムを縮めてトップタイムを出した。タイムは、2分3秒888。これを見たリーボックスカイラインは、1回目の予選で使用した浅い溝のレインタイヤでまず2分3秒011を出しておき、それからカットスリックに交換して2分2秒075へとタイムを縮めたのであった。
トップタイム争いが展開される中、参加28台のマシンがタイムアタックを繰り返すことによって路面のレコードライン上が次第に乾き始めてきた。しかし、そのラインを外すと濡れており、タイムアタック中に追い越しを掛けようとした場合のリスクも考慮しなければならない状態だ。
予選時間も残り5分、カルソニックスカイラインが動いた。スリックタイヤに賭け、最後のタイムアタックに出たのである。満を持した渾身の走りで星野は2分を切り、1分58秒626を叩き出した。これでポールポジションを決める。カルソニックスカイラインは今季これで開幕戦から全戦ポールポジションを獲得していることになる。
一方、リーボックスカイラインもスリックに履き替えたのだが、わずかにタイミングが遅く、スリックタイヤでのタイムアタックを行えないまま予選終了のチェッカーフラッグを受けることになった。
「カットスリックの時に遅いマシンに引っ掛かり、1周分損した。あれがなければスリックでタイムアタックができただろう」と長谷見は悔しがる。
一方、星野は、
「天気の回復を見て、うまくタイムアタックできた。GT-Rは四駆だからスリックで行けたけど、そうでなかったら、こうはいかなかった」と語った。
ここまで4戦を終えてカルソニックスカイラインとリーボックスカイラインの勝敗は、2勝2敗の五分だ。しかし、負けたレースで着実にポイントを稼いできたリーボックスカイラインがシリーズポイントを140点と伸ばし、カルソニックスカイラインに36点の差をつけている。昨年のチャンピオン、カルソニックスカイラインがタイトルを守るためには、このオートポリスと次の最終戦インターTECで2連勝し、リーボックスカイラインが脱落するのを待たなければならない厳しい状況にある。
星野は、
「決勝はとにかく全力で行く!」
と語り、一方の長谷見は、
「もう残り2戦だから、うちは確実にいきますよ。決勝レースのペースは1分57秒くらい」
と、チャンピオン奪回に向けて静かなる闘志を見せた。
決勝レースが行われた日曜日は、晴天に恵まれた。それと同時に気温はどんどん上がり、決勝がスタートする午後1時には30℃を超えていた。これから65周、300kmのデッドヒートが始まる。
リーボックのチャンプ決定を
阻止するべく度重なるタイムロスも不屈の闘志で
取り返すカルソニック
だがその力0.5秒およばず、1991年の勝利の
女神はリーボックに微笑んだ
ゴールラインまで続いたリーボックとカルソの激闘
ローリングスタートからトップに立ったのは、星野が乗るカルソニックスカイライン。もう何度も見慣れた光景だ。4台のGT-Rの中で、速さに関してはカルソニックスカイラインが群を抜いている。コース上2番手は長谷見の乗るリーボックスカイラインだが、1周につき1秒の差をカルソニックスカイラインにつけられてしまう状況で、2台の差は開く一方だ。カルソニックスカイラインのペースは、1分56秒台に突入している。
3番手はタイサンKLEPPER GT-R、4番手に予選で3位と健闘したFETフォード・シエラRS500、そして5番手にAXIAスカイラインの順。レースもまだ1/3をするかどうかといった時、たった1台のフォード・シエラ、FETフォード・シエラRS500が離脱した。ハブのスタッドボルトが折れ、突然左リヤタイヤが外れてしまったのである。
レースがほぼ半分を消化した時、リーボックスカイラインが予定のピットインを行い、長谷見からアンダース・オロフソンへのドライバー交替と、給油、そしてタイヤ交換を行ってレースに復帰する。タイムロスの少ない完璧なピット作業だった。数周後、今度はトップを快走してきたカルソニックスカイラインがピットに滑り込んだ。星野から鈴木利男へ、そして給油とタイヤ交換が行われたが、ここでタイヤ交換に手間取ってタイムロス。レースへ復帰した時にはリーボックスカイラインにトップの差を奪われていたのであった。
しかし、何も慌てることはなかった。GT-R最速は、カルソニックスカイラインなのである。利男は間もなくオロフソンを捕らえ、これを抜いていったのであった。
だがレースは何が起こるか分からない。コース上にオイルを出したマシンがあり、その影響で1コーナーでコースアウトするマシンが続出。このため、ペースカーが全車を先導する間にオイル処理を行う措置が取られた。このため、トップのカルソニックスカイラインと2番手リーボックスカイラインとの差はゼロに戻った。そして残り周回22周から、振り出しに戻されたレースが再開されることになったのである。
それでもレースは意外なほど単調なものになりそうだった。カルソニックスカイラインは事も無げにリーボックスカイラインとの差を再び広げていったのである。カルソニックスカイラインは、たびたびの試練を簡単に乗り越えていくかに思われた。
しかし、ここで再びしかしと言わなければならない事が起きてしまう。トップを快調に走っていたカルソニックスカイラインが周回遅れのマシンをかわそうとして、行く手を阻まれ、何とコースアウトしてしまうのである。4秒の差を広げられていたリーボックスカイラインがその間にトップを奪ったのであった。それでもカルソニックスカイラインは決して諦めたりはしない。限界を極めた走りで利男はまたもリーボックスカイラインをかわしてしまうのであった。なんと凄まじいレース展開。カルソニックスカイラインのディフェンディングチャンピオンとしての執念が存分に発揮されたのであった。
だが、それにもかかわらず勝利の女神はカルソニックスカイラインには微笑まなかったのである。残り10周あまり、再三に渡ってトップを奪い返してきたカルソニックスカイラインが、1コーナーで痛恨のコースアウトをしたのであるリーボックスカイラインは労せずトップを手に入れた。しかしまだレースは終わらない。コースに復帰したカルソニックスカイラインは、執拗にリーボックスカイラインに食い下がった。ただ今度は、オロフソンも簡単に利男を前に行かせることはなかった。ゴールは目前、そしてリーボックスカイラインのオロフソンには、チャンピオンを奪い返すという使命がある。
最終ラップ、最終コーナーを2台のGT-Rが並ぶようにして立ち上がってきた。ゴールまであと数百メーター。その数秒間の加速が最後の勝負となった。ほぼ同時にチェッカーフラッグを受けたかに見えた2台のGT-Rだったが、リーボックスカイラインが0.5秒早くゴールラインを横切ったのである。
このリーボックスカイラインの3勝目がシリーズタイトルの行方を決定した。最終戦インターTECを待たずして、リーボックスカイラインは1991年のチャンピオンを獲得したのである。
「シーズンが始まる前、参戦体制についていろいろ考えると、タイトルを取ることは難しいかもしれないと思っていました。しかし結果的にこうしてタイトルを獲得できて、とても嬉しい。それから今回のレースでは、オロフソンがミスをせずによくやってくれました」
年間タイトルの獲得を常に狙ってレースを戦う長谷見は、ようやく仕事を果たした、そういう表情で、チャンピオンの奪回を噛み締めたのであった。そしてダンロップタイヤにも、GT-Rでの栄誉が与えられたのである。
全日本ツーリングカー選手権シリーズin AUTOPOLIS
優勝そしてチャンプ奪回
グループA初開催のサーキット
それにくわえてめまぐるしく天候が変化する予選
レインかスリックか・・・・・・
どちらにしても使えるタイヤは3セット
カンに勝負をかけるしかない
Text: Naotsugu Mihori
Photo: Iwao Komiya
By courtesy of GT-R Magazine Vol.010, Kotsu-Times Sha, 1996.
Photo: Iwao Komiya
By courtesy of GT-R Magazine Vol.010, Kotsu-Times Sha, 1996.
定まらぬ天候に惑わされるタイヤ選択と予選通過タイム
この年、開幕戦に予定されていた西日本サーキットでのレースがコース改修のためキャンセルとなり、1戦が減ることになったが、一方で新たに生まれたサーキットでのレースがシリーズに加わることになった。
オートポリスは、九州初の本格的パーマネントサーキットとして1990年10月27日にオープンした。大分県阿蘇の、くじゅう国立公園麓に建設されたコースは、全長が4.647km。FIAの公認を得た国際格式のコースである。サーキットの設計に当たっては、F1でホンダのチーム監督を務めた桜井淑敏氏が監修したというだけのことはあり、奥深い山間に完成したオートポリスには約15万人の観客収容能力があり、付帯設備としてホテルやスポーツ設備、さらに美術館も備えるという、F1を通して見たヨーロッパ流モータースポーツ文化のエキスが注入された豪華な内容を誇った。
コースレイアウトは、約1kmのホームストレッチの他、左右に切り返しの続くテクニカル区間やタイトなヘアピンカーブを2つ持ち、さらに最大標高差52mとなるアップダウンがあって、その最大勾配は、上りで約7%、下りでは10%と、雄大な自然を利用して様々な走行性能をマシンに要求する工夫がなされている。
1990年秋のオープンに際してはF1のデモンストレーション走行などが行なわれ、その後1991年になって本格的にレース開催が始まった。3月にはF3000、そして10月にグループAである。

1回目の予選は完全なウエットコンディションで、レインタイヤを装着してのタイムアタックとなったが、暫定のポールポジションとなる最速タイムを記録した長谷見昌弘の乗るリーボックスカイラインは、浅い溝のレインタイヤを装着していた。タイムは、2分4秒357。2番手は星野一義のカルソニックスカイラインで、タイムは2分7秒114と、大きく差が開いていた。
予選終了後、一時的に止んだ雨が2回目の予選が始まるころには再び降り出す。レインタイヤを装着してコースインを行う各マシン。そして予選時間の半分が経過した頃、カルソニックスカイラインがいち早くレインからカットスリックに履き替えてコースインし、一気にタイムを縮めてトップタイムを出した。タイムは、2分3秒888。これを見たリーボックスカイラインは、1回目の予選で使用した浅い溝のレインタイヤでまず2分3秒011を出しておき、それからカットスリックに交換して2分2秒075へとタイムを縮めたのであった。

予選時間も残り5分、カルソニックスカイラインが動いた。スリックタイヤに賭け、最後のタイムアタックに出たのである。満を持した渾身の走りで星野は2分を切り、1分58秒626を叩き出した。これでポールポジションを決める。カルソニックスカイラインは今季これで開幕戦から全戦ポールポジションを獲得していることになる。
一方、リーボックスカイラインもスリックに履き替えたのだが、わずかにタイミングが遅く、スリックタイヤでのタイムアタックを行えないまま予選終了のチェッカーフラッグを受けることになった。
「カットスリックの時に遅いマシンに引っ掛かり、1周分損した。あれがなければスリックでタイムアタックができただろう」と長谷見は悔しがる。
一方、星野は、
「天気の回復を見て、うまくタイムアタックできた。GT-Rは四駆だからスリックで行けたけど、そうでなかったら、こうはいかなかった」と語った。
ここまで4戦を終えてカルソニックスカイラインとリーボックスカイラインの勝敗は、2勝2敗の五分だ。しかし、負けたレースで着実にポイントを稼いできたリーボックスカイラインがシリーズポイントを140点と伸ばし、カルソニックスカイラインに36点の差をつけている。昨年のチャンピオン、カルソニックスカイラインがタイトルを守るためには、このオートポリスと次の最終戦インターTECで2連勝し、リーボックスカイラインが脱落するのを待たなければならない厳しい状況にある。
星野は、
「決勝はとにかく全力で行く!」
と語り、一方の長谷見は、
「もう残り2戦だから、うちは確実にいきますよ。決勝レースのペースは1分57秒くらい」
と、チャンピオン奪回に向けて静かなる闘志を見せた。
決勝レースが行われた日曜日は、晴天に恵まれた。それと同時に気温はどんどん上がり、決勝がスタートする午後1時には30℃を超えていた。これから65周、300kmのデッドヒートが始まる。
リーボックのチャンプ決定を
阻止するべく度重なるタイムロスも不屈の闘志で
取り返すカルソニック
だがその力0.5秒およばず、1991年の勝利の
女神はリーボックに微笑んだ

ローリングスタートからトップに立ったのは、星野が乗るカルソニックスカイライン。もう何度も見慣れた光景だ。4台のGT-Rの中で、速さに関してはカルソニックスカイラインが群を抜いている。コース上2番手は長谷見の乗るリーボックスカイラインだが、1周につき1秒の差をカルソニックスカイラインにつけられてしまう状況で、2台の差は開く一方だ。カルソニックスカイラインのペースは、1分56秒台に突入している。
3番手はタイサンKLEPPER GT-R、4番手に予選で3位と健闘したFETフォード・シエラRS500、そして5番手にAXIAスカイラインの順。レースもまだ1/3をするかどうかといった時、たった1台のフォード・シエラ、FETフォード・シエラRS500が離脱した。ハブのスタッドボルトが折れ、突然左リヤタイヤが外れてしまったのである。
レースがほぼ半分を消化した時、リーボックスカイラインが予定のピットインを行い、長谷見からアンダース・オロフソンへのドライバー交替と、給油、そしてタイヤ交換を行ってレースに復帰する。タイムロスの少ない完璧なピット作業だった。数周後、今度はトップを快走してきたカルソニックスカイラインがピットに滑り込んだ。星野から鈴木利男へ、そして給油とタイヤ交換が行われたが、ここでタイヤ交換に手間取ってタイムロス。レースへ復帰した時にはリーボックスカイラインにトップの差を奪われていたのであった。
しかし、何も慌てることはなかった。GT-R最速は、カルソニックスカイラインなのである。利男は間もなくオロフソンを捕らえ、これを抜いていったのであった。
だがレースは何が起こるか分からない。コース上にオイルを出したマシンがあり、その影響で1コーナーでコースアウトするマシンが続出。このため、ペースカーが全車を先導する間にオイル処理を行う措置が取られた。このため、トップのカルソニックスカイラインと2番手リーボックスカイラインとの差はゼロに戻った。そして残り周回22周から、振り出しに戻されたレースが再開されることになったのである。

しかし、ここで再びしかしと言わなければならない事が起きてしまう。トップを快調に走っていたカルソニックスカイラインが周回遅れのマシンをかわそうとして、行く手を阻まれ、何とコースアウトしてしまうのである。4秒の差を広げられていたリーボックスカイラインがその間にトップを奪ったのであった。それでもカルソニックスカイラインは決して諦めたりはしない。限界を極めた走りで利男はまたもリーボックスカイラインをかわしてしまうのであった。なんと凄まじいレース展開。カルソニックスカイラインのディフェンディングチャンピオンとしての執念が存分に発揮されたのであった。
だが、それにもかかわらず勝利の女神はカルソニックスカイラインには微笑まなかったのである。残り10周あまり、再三に渡ってトップを奪い返してきたカルソニックスカイラインが、1コーナーで痛恨のコースアウトをしたのであるリーボックスカイラインは労せずトップを手に入れた。しかしまだレースは終わらない。コースに復帰したカルソニックスカイラインは、執拗にリーボックスカイラインに食い下がった。ただ今度は、オロフソンも簡単に利男を前に行かせることはなかった。ゴールは目前、そしてリーボックスカイラインのオロフソンには、チャンピオンを奪い返すという使命がある。

このリーボックスカイラインの3勝目がシリーズタイトルの行方を決定した。最終戦インターTECを待たずして、リーボックスカイラインは1991年のチャンピオンを獲得したのである。
「シーズンが始まる前、参戦体制についていろいろ考えると、タイトルを取ることは難しいかもしれないと思っていました。しかし結果的にこうしてタイトルを獲得できて、とても嬉しい。それから今回のレースでは、オロフソンがミスをせずによくやってくれました」
年間タイトルの獲得を常に狙ってレースを戦う長谷見は、ようやく仕事を果たした、そういう表情で、チャンピオンの奪回を噛み締めたのであった。そしてダンロップタイヤにも、GT-Rでの栄誉が与えられたのである。


